愛知県名古屋市

菅原町通の風景

昭和11年

昭和時代には名古屋駅から東に桜道と呼ばれる大通りがあった。

しかし、桜並木ではなくいちょう並木。この大通りは桜の町筋と呼ばれていた。

それは、天神様を祭る天満宮に繋がる道で、天満宮では神木に桜の古木があったので、桜天神や桜天満宮と呼ばれ、そこに通じるため桜道と呼ばれていた。

この天満宮に祭られている天神様は菅原道真にちなんだ名前で菅原町とも深い関わりがある。

現在では、名古屋天神や上野天満宮とされて、学業や厄除けの神様としてとても有名である。

昭和12年の名古屋駅の移転に合わせてこの桜道の整備も行われた。

しかし、第二次世界大戦によりこの辺りは疎開空地帯に指定され建物などは取り壊し空き地となる。

しかし、戦争が終わると、疎開空地を利用し、現在の幹線道路へと整備された。

回想法ヒント

1.菅原町にもかかる桜道という大通りは通ったことがありますか?いちょう並木がきれいでしたか?

2.菅原道真を祭る天満宮にはいかれたことはありますか?

3.昭和12年移行、菅原町周辺では道路の整備や戦争による疎開空地帯になるなど目まぐるしく状況が変化しましたが、戦後は幹線道路も整備され復興していきましたか?

愛知県 名古屋市 菅原町通

名駅前の風景

昭和初期

明治時代から名古屋電機鉄道により路面電車が開業され、名駅地区は交通結節点として発展していた。

それが、昭和に入り、名古屋駅が現在の場所に移転すると、名駅通りなどが整備され利用する人も増えた。

また、関急名古屋駅や新名古屋駅が開業するも、名駅はこれらの駅を擁する程の交通の集積地として発展していった。

名駅を利用する乗客はタクシーなどを利用することも多く、電車のみならず、周辺の交通業界や商業地区として発展した。

それまで発展はしていても名古屋駅と名古屋市街への乗り換えの通過点という側面もあったが、平成にはいると高島屋など大手商業が出来たり、企業がオフィスを構えるようになり、注目されていった。

回想法のヒント

1.名古屋市街にはどういったお店や建物がありましたか?

2.名古屋駅を利用する方は多かったですが?名駅も多くの方が利用していましたか?

3.昭和初期の名古屋では三菱重工の戦闘機エンジンの製造にも力をいれていましたが、製造業においても発展していましたか?

愛知県 名古屋市 名駅前

下米野町の風景

昭和初期

昭和初期には名古屋市中村区米野町の南側を下米野町とされていた。

米野城があったといわれている。米野城は織田家重臣の林秀貞の与力だった中川弥兵衛の居城と言われており、現在の長松寺周辺に建てられていたと言われている。

また、下米野町には古くから祭られている長松寺や円福寺があるが、下米野町がある中村区には様々な宗派のお寺が沢山建てられている地域であった。

下米野町周辺には昭和13年に開業した米野駅があったり、米野小学校が明治時代に創立されていたりと、賑やかな街並みだった。

回想法のヒント

1.慶長時代など古くに建てられて長松寺や円福寺には参拝にいかれたことはありますか?

2.長松寺や円福寺がある場所周辺に米野城が建てられており、織田家に関わる中川弥兵衛が住居としていたとされていますが、お話はきいたことがありますか?

3.下米野町から米野小学校には通学されましたか?その時の思い出などはありますか?

愛知県 名古屋市 下米野町

港座の風景

昭和16年

愛知県名古屋市にある大須演芸場の前身である港座。

もともと南桑名町にあったのですが、浅間神社の社有地に移転し浅間神社にちなんで、街路灯も神灯式のものが使われていた、浅間通り(現在の大須観音通り)と名付けられた通りに、「港座」と改称され、建設されました。

大正期からあった映画、日活の直営館になったり、戦後はストリップ劇場に変わったり、
変遷もすさまじい限りでした。

全盛期には、浅間神社に遊びに来た人たちは、大須の観音様にお参りにそして、港座「映画館」に足を運び、浅間通り沿いの食堂や喫茶店が軒を並べていたところに立ち寄りました。

今では中京圏で落語や色物を毎日上演する寄席として知られています。現在テレビで活躍している有名お笑い芸人の下積みの場所としても名が知れている場所です。

回想法のヒント

1..当時の港座ではどんな映画が上映されていましたか?
2.港座のあった浅間通りにはどんな喫茶店や食堂が立ち並んでいましたか?
3.港座でみた映画や演芸で覚えているものはありますか

愛知県 名古屋市 港座

広小路通の風景

大正初期

名古屋のメインストリート広小路通は、堀切筋と呼ばれており、基盤割南端にできました。

1660年、万治の大火(名古屋城下の半分を焼き尽くした大火事)があり、この機会にと
道幅が5.5mから27.27mへと大幅に広げられ、その道の広さから、広小路通りと呼ばれるようになりました。

大正から昭和初期にかけて、広小路通の沿道に数多く露店や屋台が立ち並び、人の往来が頻繁にあり、馬車や自動車もたくさん走る賑やかな道でありました。

昭和初期にかけて、納屋橋付近の広小路通りを散策することにちなみ「広ブラ」と呼ばれ多くの人が楽しまれていましたが、高度経済成長期に沿道に数多く存在した屋台が少しずつなくなってきて散策する人の数も減ったことから言われなくなってしまいました。

しかし、近年、沿道の商店街を中心に行政が協力し、その復活に向けた取り組みが行われています。

今では、広小路にある街路樹に、電飾が約30万個近くも飾り付けられる最大規模のそれは素敵な鮮やかなイルミネーションが楽しめます。

回想法のヒント

1.広小路通はどんな店が立ち並んでいましたか?
2.当時沿道を散策で楽しかったことはありますか?
3.当時はどのような服装の人が多く歩いていましたか?

愛知県 名古屋市 広小路通

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